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ONLINE COURSE 2【Art theory】

アーカイブ1

今回の講座ではそもそも芸術や美術とは何なのかを学んでいただきます。

大まかな西洋美術史の流れを学んで頂き、回を重ねながら詳細を学んで頂きます。

資料的な基本知識から、美術的な解釈そして描かれた意味や目的など、時代背景や美意識の変化を同時に学んでいきます。

この基本的な勉強だけでも美術の面白さを学んで頂けます。

芸術とは何なのか、そして美術とは何なのか

■ はじめに

文芸、絵画、版画、彫刻、建築、工芸、音楽、演劇、舞踊、写真、映画、デザイン、ファッション、漫画など芸術に携わる全ての方にとって学んでおくべき理論学問が芸術学です。実践技術としての実技経験と違い、論理的に芸術を学びます。

芸術理論を備えて創作活動を行う事と、そうでない場合では作品に大きな価値の差が現れます。

実際に作品を描かれておられる方は、何が芸術で芸術でないのかを理解した上で取り組んで頂けます。

芸術といっても言語芸術、視覚・造形芸術、音響芸術、舞台芸術、映像芸術、応用芸術、様々ございます。芸術理論はその分野の歴史を文脈に沿って学び、運動・主義・価値観の変化を学びます。芸術という大きな括りに存在する各ジャンルですので共通する事も沢山あります。

美術の世界にシュミレーショニズムが広がった1980年代、音楽の世界ではバンドからDJやユニット、デジタルとしてのコピーやリミックスを主体としたサンプリングが盛んに行われました。そういった芸術間でのエフェクトが行われ、芸術は同時にアップデートされ進化します。

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シンディ・シャーマン

wikipedia

写真や映像を学ぶ人は一度は耳にしたことがあるのでは無いでしょうか。現代のポートレイト写真にも多大なる影響を与えていると言われるシンディ・シャーマン。

彼女の代名詞でもある映画のワンシーンを想定した「アンタイトルズ・フィルム・スティール」はシュミレーショニズムを代表する作品です。

彼女が行う自撮り作品は表層的なサンプリングではなく、作品の背後にあるポピュリズムへのアンチテーゼであり、アイディンティティーとは何なのかを作品を通して訴えかける強いネガティブメッセージである。そしてその時代に反映した文化的思想を誰もが理解しやすい形にまで落とし込んだスタイルが自撮りであり、サンプリングであった。

今でこそ市民権を得たコスプレイヤーの始祖でもあり、自撮りというナルシチズム文化を予見していた先駆者でもある。モチーフは必ず自分であり全面的に自分を押し出すこと。そしてそこにテーマやメッセージを含め作品に意味を与えている。故にシンディは自撮りの女王、前衛の女王とも呼ばれている。

どの芸術分野にも共通して言えるコアイデオロギーは、人類の価値観をアップデートする事が芸術の役目であるという事です。

芸術作品には、ある種の表現の到達点が作品に反映されています。また作品からその時代にある背後を読み解くことができ、主義やイデオロギー、経済や情勢によって作品の意味も変化しそれが現れます。主観的内在を伴い、または文化記録や情報伝達としての提示としても機能します。そして大切な事はそれは鑑賞者に対して必ず感情的精神的な作用を起こすという事です。

直情的な欲求によって行われる制作行為にも、文化や慣習によって繰り返される伝統や特殊な状態を表した表現である場合それは芸術として認められます。しかし鍛錬や修練といった技巧習得は芸術の材料とはなりますが、それ自体が芸術として自立しません。つまりデッサンや模写という行為は修練であって技巧習得であるという事です。デッサンや模写事態が芸術的価値を持つ場合もありますが、それにはいくつかの条件がありとても特殊な状態です。例えば有名画家が死亡し再現性が無い状態でのデッサンは希少性があり芸術的価値(資料資産として)も生まれます。そういった特殊な時を除き、技巧所得の為の修練作品のほとんどは価値を持ちません。ここで追加にておことわりさせて頂きますが、芸術家として認められた場合は様々な物に価値が生まれます。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ

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様々な知識を持っていたレオナルドはそれらを統合し発展させる事を目的としていました。解剖学から人体の構造と機能を観察し医学に応用し、化学や物理学から航空工学に応用し、様々な物事を体系化し人類の知識発展に貢献しました。そこで残った数々のスケッチには当時の文化背景がしっかりと記録され、当時の知識レベルが垣間見れます。

こういった資料としてのスケッチには資産性がとても高くまたレオナルドは画家でもあったのでしっかりとした図録としても機能しています。レオナルドのクロッキーに価値が高いのは、彼がどれほど有益な活動を行い人類に貢献したのかによります。

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フランシス・ベーコン

「キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作」1944年

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通常習作とは目的とする表現の過程作品であり、完成に向かうべく過渡期のものである。しかし彼の作品はあまりにもセンセーショナルであったため習作と位置付けた作品名であってもそれは価値のある題目とらえられる。

美術界に大きな影響を与えたこの「キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作」は様々なパターンが存在し、彼の作品の中でも大きなプロジェクトであった事に違いはない。一連の「キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作」は後期になるともはや見るにも絶えぬ凄まじい表現へと到達している。

様々な宗教画として残る「キリスト磔刑の三連祭壇画」を彼が解釈し描いた作品が、キリスト教徒が大多数の西洋ではセンセーショナルな出来事であった事は容易に想像ができます。下記にあるロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品と比較しても圧倒的な違いがある。

「アーティストは感情のバルブのロックを外すことができる。そうやって絵を眺めている人達を、無理矢理にでも生に立ち戻らせることができる」

フランシスベーコンの言葉であるが、作品と言葉の親和性が極めて高い。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデン

「キリスト磔刑の三連祭壇画」1450年頃

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キリスト教を題材とした祭壇画、肖像画を描いた宮廷画家として名を馳せた初期フランドル派の筆頭。

「キリスト磔刑の三連祭壇画」はヨース・ファン・クレーフェの作品も残っており、どちらも同じキリスト教を布教し宣伝する意味を持ったプロパガンダ作品である​。

何事もそうですが、制作の動機は欲求から始まります。しかし芸術理論を備え創作を試行錯誤する場合、そこには表現そのものに対しての価値が、美術界の中でどのような位置付けになるのかという思考と模索が生まれます。

芸術の定義は時代によって変わり続けます。1917年マルセル・デュシャンの「泉」作品が発表されて以降は、主観を排除した客観作品へと芸術の定義や価値観が進歩しています。古典芸術では自分という内から生み出される様々な技法や価値を提示するものであるものに対し、自分という主体を含めない状態で制作された完全なる客体作品が「泉」でした。そうした芸術という概念すらも覆す大きな変革が現在へと続き、現代アートのニュースタンダードとなりました。

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マルセル・デュシャン

「泉」1917年

wikipedia

お金を払えば誰もが参加できるニューヨーク・アンデパンダン展にR・MUTTという匿名でこの泉を出品しているが、展示されず作品は破壊されたとされる。

この作品以前以後でアートに決定的な変革が起こった事は芸術に携わる者なら知っている。

「芸術を捨てた芸術」そう呼ぶ人も多い。何が芸術なのかを思考する事を鑑賞者に与え、自ら答えを探そうとする、行為そのものを作品とした。自転車の車輪作品から続くレディメイドはこの泉で完成されL.H.O.O.Q.へと続く。

「泉」は誰が作ったかもわからない、そこら辺にある男性便器に架空の名前をつけ出品したマルセルの意識が存在しない客体的な作品として価値観が大きく飛躍したものである。

マティス、ピカソ、デュシャンは20世紀前半、芸術を革命的な発展に貢献した3人として位置付けられています。

新しい価値を提示する事が芸術的価値があるものとしていますが、そもそも視覚的な美しさ(様々な美的価値)を提示する事が視覚造形芸術の役目でもありますから、革命的な物事で無い限りそれは芸術運動として成立しません。

芸術とは奇抜でエキセントリックな活動を総称して芸術と謳っているのではありません。芸術理論を学ばずにこの奇抜でエキセントリックな部分だけをフォーカスして作品に応用した場合、作品からは歴史や文脈を読み取れずただ意図のわからない模倣的または駄作としての価値しか持ち得ません。

芸術が芸術足らしめるものとして必ず知識として過去のアーティストの活動意図、起った運動の背後、そしてアンチテーゼの歴史、そういった歴史的文脈をしっかり学ばなければなりません。

少なくとも過去を模倣し継承し未来に橋渡しをする伝達者が現在の私達の役割ではありません。ですが、歴史の背後にある象徴性を学び、社会的な役割や洗練された美意識と文化を、私達現在に生きる者がしっかり過去から学び、そして発展させる事が前提です。

そういった時代背景や文化、文脈から芸術が芸術足りうるルールを順を追ってこのオンライン講座にて学んでいただきます。

■ 写実と模倣の時代

ゼウクシス(Zeuxis)とパラシオス(Parhassios)の有名な逸話が、ギリシア美術より脈々と続く模倣の歴史を物語っています。 

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「ゼウクシスとパラシオスは、共に素晴らしい技巧を持つ画家でありライバル関係であった。二人は最も偉大な芸術家の称号を獲得するために競いました。

ゼウクシスは器に盛られたあまりにも写実的なブドウを描きました。あまりにも実物にそっくりだった為、本物だと勘違いした鳥がその絵のブドウをつついたほどでした。沢山の鑑賞者もゼウクシスの作品に驚嘆しゼウクシスは勝利を確信しまた。しかしパラシオスはゼウクシスの作品に心を動かされることはありませんでした。

勝ち誇ったゼウクシスは、パラシオスの作品がカーテンで覆われてはっきりと見ることができないので、作品に掛かったカーテンを引き上げるように言いました。

パラシオスは言いました。このカーテンが絵画であり作品だ。

ゼウクシスの作品は鳥を騙したが、パラシオスはその物の意味を考える人間を騙しており、これはずっと難しいことだとして、勝利を宣言しました。」

※これがトロンプ・ルイユ(騙し絵)の祖と言われる逸話です。

紀元前750年頃古代ギリシアより1900年代までの約3000年間、如何に現実的にリアルに描くのかという、古代ギリシアで生まれた価値観が続きます。

年代/時代名称/様式・文化・運動/作品名・作家/場所/材料・形状/目的/美術的解釈/特徴・補足

南アフリカのブロンボス洞窟で発見された、オーカーで印をつけた石の薄片.j

BCE75000年頃

原始美術(ロックアート)

■場所

南アフリカ・プロンボス洞窟(世界最古)

■材料

オーカー製の棒

■目的

​宗教道具

■美術的解釈

幾何学模様が描かれている。自然界の様々な物・模様から、幾何学模様を抽象化抽出し想像したとされる。抽象化する美意識もあり、創造性が豊かであった事を表している。

■特徴

​紀元前7万5000年前に幾何学模様を描く抽象化技術や美意識があり、経験や知識を超えた存在に対して宗教的な意味を与え信仰する力もあった。

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BCE14000年頃

フランコ・カンタブリア美術(ケイブペインティング)

■場所

フランス・ラスコー洞窟

 

■材料

赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を制作

 

■目的

日常の記録としての意味が強いとされているが、天体観測を日常の生物に置き換え記録したものとするの論文もある※。調査により春分秋分に見られる星座の記録がある。

※エディンバラ大学 マーティン・スウェットマン

■美術的解釈

無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられており、手前の角が長く奥の角は短く描かれている。そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。

■特徴

遠近法を多用し距離による違いを平面表現にも行われている。これは狩によって距離を理解していたからこそ自然と行われた事であると推測されるが、つまりは距離の概念が後述する時間概念にも関連し距離と時間の概念も持っていたと思われる。

春分秋分星座の記録があったという事は時の概念があった事になる。これは高度な天文知識と共に時間概念から様々な価値観を備えていた事になる。

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BCE4000年頃

メソポタミア美術

■作品名

ウルのスタンダード

■場所

イラク南部ウル王朝の墓地。チグリス川ユーフラテス川の間の下流域に存在。

■材料

貝や赤色石灰岩、ラピスラズリで象眼細工が施された木製の小さな台形型の箱。

■目的

楽器共鳴器。

■美術的解釈

シュメール美術には人の階層表現があり、権力を持つ者や重要な人物は大きく描かれる。歩幅間隔の違いや浮遊していく前足が速度表現をしているとされる。

■特徴

シュメール人が行なった事柄には人類史初めてが多い。

神権政治に基づいた君主制をとり統治された都市社会を作った。神・人間・儀式を階層化した宗教の組織化。書き文字としての楔形文字。高度な農業を行う灌漑設備。物資や軍隊を運ぶ車輪付き乗物。アフリカ、アジア、ヨーロッパに跨る商取引ネットワーク、その巨大なマーケットを運営する為に開発された円筒型の印象。

シュメール人は政治、経済、芸術、建築などの基礎を作ったとされている。

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BCE2649年頃ー1070年頃

古代エジプト美術

■作品名

ツタンカーメン埋葬用マスク

■場所

王家の谷の墳墓KV62

■材料

金板をハンマーで打ち出し、はんだ付けが施されている。象眼細工にはラピスラズリ、紅玉髄、黒曜石、ターコイズ色のガラスを使用。

 

■目的

遺体を腐食損壊から保護する目的としての埋葬用マスク。

■美術的解釈

エジブト美術は2000年様式を変えず続いたとても保守的な美術であったが、アクエンアテン(アメンホテプ4世)が行なった宗教改革によってアマルナ美術が生まれ、よりリアルで写実的な表現が生まれた。後にツタンカーメン王により元の古代エジプト美術様式に戻る。しかしアマルナ美術を経た結果ツタンカーメン埋葬用マスクは初期の古代エジプト美術、アマルナ美術のどちらの様式も見て取れるものとなっている。​

■特徴

3000年繁栄したエジプト文化を日本で置き換えると、弥生時代から令和の現代までの期間をさす。如何に長い間価値観が大きく変化しなかったのかを物語る。つまりは変化せずとも完成された文化であったとも解釈できる。

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BCE200年頃

ナスカ文化

■場所

ペルー・リマ南方海岸平野からアンデス山脈の麓の丘陵地帯

 

■材料

地上絵の線は砂漠の赤い石や砂利を取り除き、下層の白い地面を露出する事によって制作している。

 

■目的

このハチドリの長いくちばしの先端は太陽黄経が270°の冬至の日の出を指し、南半球故に夏の日の出位置を表している。これにより天文的な意図で描かれたことが理解でき、農業などに利用されたものとされている。

■美術的解釈

このハチドリを含め地上絵には18の鳥が描かれ、最も多い題材となっている。

ナスカの陶器や織物にも図像学や象徴化が見られるが、これは地上絵のサイズも要因となっており、このハチドリは450平方キロメートルにも及ぶ面積があり、最長部分は305メートルにもなる。これは展望できる場所や施設を制作し俯瞰で確認する必要もあり、高度な測量技術も必要であった。

また顔料は少なくとも10色を使っており多色である。

BCE750年

ギリシア美術

次のレッスンは遂にギリシア芸術となります。

ローマ時代の出現まで、ギリシアの芸術や建築は西洋美術や文化発展の基礎となりました。初期ルネサンス期に美術の理想化された写実主義が再発見され、19世紀に到るまでの西洋のほとんどの芸術家の基準となった普遍的な価値観がこの時生まれました。

動画アーカイブ(期間限定)

ZOOMでのオンライン講座を期間限定にて配信しております。

レッスン時間は約30分程となります。

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