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美意識の共通言語



普遍的な美しさが存在するとすれば、それは共通言語として成り立ちます。

例えば、現代美術はアートの文脈知識があって理解することができるものです。

何の知識も無く現代美術と対峙すると意味のよくわからない可笑しなものという表層的な解釈しか行えません。

様々な知識を持った博識な人であれば関連性を図り具体性を見出せるかも知れませんが、かなりの頭脳を必要とします。


誰かには理解でき、誰かには理解できない。それは知識を持った人にだけ解放された特別な呪文のような存在です。

芸術とはそんな高尚なものなのでしょうか。


美の定義を最初に行ったのはプラトンのイデア論です。そしてカントは美しさの全ては自然を超えることはできないとし、このカントの考えが長い間、芸術家に浸透します。特にアジアにおいて自然美に対する関心は高く、水墨画は主に自然美や日常を描く美術ジャンルとして発展しました。


普遍的な美しさがあるとすれば、それはやはり自然が与える美しさです。


この美意識は先天的な意識なのか後天的な意識なのか。

経験によって自然の美しさを定義づけるとすればそれは様々な解釈を産みますが、自然はどの国のどの歳の人が見ても共通して美しく感じます。

つまり、この美意識は生まれる前から抱いていた先天的な価値観だと言う事です。


Mariはこの共通言語しての空の美しさをフレーム(額)を介して、自分の世界に引き入れていると語ります。


どんな場所であっても、フレームの中の世界、つまり絵は美しい世界と繋がっている。そういった超常的な感覚をも抱かせる彼女の作品は、誰もが理解できる共通言語としての美しさを提示し、また自然美を愛出る人類に対して彼女から愛を与えています。


そしてMariは空は何処にいてもどんな場所にしても美しさは変わらず、ただ上を見るだけで美しい世界が存在すると伝えます。

それは私達現代人が忘却していく感性を憂うように、彼女の作品が語りかけてきます。


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