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翼のない自由



自由とは、自発的で束縛されない世界。

それは自主性と共に責任を伴う世界。


何かに携わるとそこには関係する事の楽しさと目的達成の為の責任、少なくとも自己完結させなければならない責任が存在します。

誰かと接すると、自我を尊重する事と同じように他者を尊重する事も大切で、社会性が不可欠になります。


自由とは様々な関係の上で責任を負った事を指していると思います。


従属的で個の意思を必要としない状態や、抑圧された状態というのは、支配的な環境に従う人が必要な人が作った環境ではないでしょうか。

自由になるという事は知識を得るという事で、取捨選択できる様々な道や方法を知ることではないかと思います。


その道に進むべきだと思い、その考えが正しいと考え、マジョリティーを意識し、個性的な考えを少し隅に置いて社会性を重んじます。

ほとんどの人は過去からの概念を踏襲します。


今までがそうであったように、これからもそうであるかのように。




人は年齢を重ねるほどに自分の人生の過程を大切にします。


今まで生きてきた価値観を変化させることは、それまでの人生を否定していると考える人も少なくありません。大きな価値観の変化は大変な仕事です。

ですが自分の価値を守り始めると、その防御は強固になり硬い硬い自己の内世界に没入していきます。

やがてその硬い防御は、外界とを隔離する装置のように作用し誰も開けることの出来ないパンドラの箱と化します。


大阪芸術大学の学生時代、ゼミ教授の船井教授が仰ったある言葉を覚えています。

絵画学科は期末に作品の合評会を行います。その合評会で生徒が過去の歴史をなぞったような作風や、誰もが描くような作品を描いているのを見てこのように仰いました。

「みんな若いのに頭固いなー。歳とってもっと頭硬なって、考え方が凝り固まって、最後は死後硬直でカチカチになるんやろなー。」

と固定化した価値観の時間経過を冗談混じりに仰った事が印象的でした。

芸術家の端くれであるのならばいつまでも模倣したようなエチュード作品や、焼き増しのような作品を作ることを恥ずかしくお思いなさいという意味で仰ったのだと思います。

絵を描く人間には大きく2つのタイプが存在します。そのタイプの事はまた今度のお話として、船井教授のゼミは革新的な現代美術を学ぶゼミでした。過去の芸術の歴史を学び、今現代の文化を、または超個人的に、革新的な感覚を現代的に表現する事を目的としたゼミでしたので、過去を踏襲したような作品には酷評で、挑戦的な作品には良い評価でした。そしてそれはまた寛容で多様性を認めていたからなのだと今ならわかります。




日本人に多様性は育たないのでしょうか。


日本人は長い間、単一民族として日本の島国で命をつなぎました。


日本は多種多様な民族が交わる国ではなく、単一民族であったが故に、同族間の連帯や同調性が高い民族です。

良い部分も悪い部分も特徴的です。

海外から移住された方や、ハーフの方との接触が多くなるにつれて、また芸術を深く学ぶことによって多様性について考えます。


有名なエスニックジョークを一つ紹介します。

ある船が沈みだし、船長は乗客に船から脱出して海に飛び込むよう指示しなければならなかった時の、それぞれの国の人に対しての言葉です。

アメリカ人:飛び込めばあなたはヒーローですよ。

イギリス人:飛び込めばあなたは紳士です。

イタリア人:飛び込むと女性にもてますよ。

フランス人:飛び込まないでください。

ドイツ人:飛び込む事がこの船の規則です。

日本人:みんな飛び込んでますよ。


誰もがこのような価値観ではないですが、民族性というのは存在します。

そして国よりももっと小さい区切りの地域性すらも存在しています。


マイノリティーに対する偏見は年齢が高いほど強い傾向にあり、地方に行くほどに高くなるというデータがあります。

若い世代と年配者との仕事観にも違いがあり、結婚観、家族観、様々な感覚に違いがあります。

世代が変わるごとに少しづつ価値観も変化していきます。

やがては「みんなが」というマジョリティーを指標にする考えは今ほどに重要視されなくなると思います。



自由とは縛られない事です。

それは物理的なことだけではなく、内面的なことも含めています。

自分を解放して自分を楽しんでください。

人生はもっと自由に羽ばたけるはずです。


そしてその手助けは芸術にも可能であると思っています。

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