Santos de Cartier

31 Jul 2019

 

 

アルベルト・サントス・デュモンはブラジルで生まれ幼少期、ジュール・ヴェルヌの小説を全て読破し「人はいつか空を飛ぶだろう」と確信します。

 

1900年サントスはジュール・ヴェルヌが設立した「フランス飛行クラブ」へ入会し。

機械学や飛行機学など様々な学問を学び多くの飛行機を発明、設計します。

 

1900年初頭友人であったルイ・カルティエに飛行中にも操縦桿を離さずに時間を確認できる時計を依頼します。当時懐中時計が主流の時代でした。

 

1906年ルイ・カルティエはサントス・デュモンの為に腕に巻けるストラップをつけた時計、腕時計が設計されます。これが世界初となった腕時計の原型だと言われています。

 

ライト兄弟に遅れること3年。

1906年10月22日、サントスが設計し操縦したエンテ型の動力機14-bisの公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行。

翌月の12日、再び公開実験で高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得します。

これはヨーロッパにおける最初の飛行機の飛行であり、当時ライト兄弟の飛行が知られていなかったため「人類初の飛行」と大々的に報じられます。

サントスはこの成功において得た賞金を慈善活動に寄付。機体14-bisの特許を取らず、むしろ誰にでも飛行原理を理解出来るよう設計図を公開しました。

 

1910年、サントスは多動性硬化症を発病しパリ郊外で隠居生活をします。

しかし第一次世界大戦が始まり、飛行機や飛行船が兵器として使用されている事実を知り、サントスは失望しヨーロッパを去り故郷ブラジルに帰ります。

しかし平和の国と信じて帰ったブラジルでも、飛行機が内戦鎮圧に利用されていました。

 

サントスは著名人の署名を集め、飛行機を戦争に使用しない提言活動を行いましたが、大統領や国会はこれを黙殺します。

サントスはこれに絶望し、サンパウロ州グアルジャのホテルで自ら命を絶ちます。

ライト兄弟同様、生涯独身でした。

 

 

この映像広告はジェイク・ジレンホークの甘く渋い魅力を持って、サントス・デュモンのロマンとカルティエのデザイン力を表現する素晴らしい作品です。

 

ジェイク・ジレンホークがまるで浮遊する飛行機の中でいるかのように、光が舞、テーブルのグラスが飛行機と同じように移動します。

 

まるでジェイク・ジレンホークがサントス・デュモンかのように、空を雲を夢想します。

 

幼少期「人はいつか空を飛ぶだろう」と確信したサントスは青年になり空を飛びます。

幼き頃から夢であり特別であった空を飛ぶ飛行機を戦争に利用されるという絶望の淵にサントスはこの世を去ります。

 

映像後半、サントス・デュモンの想いを受け継いだ時代が、より早く移動する新しい機械の制作に人類は挑戦し続けるという意味を込めたような描写がされます。

そして空中に漂い自由になるようなジェイク・ジレンホーク・・・サントス・デュモンが映されます。

 

ラストはサントスが設計した14-bisが映像最初の雲の中を飛行していきます。

映像はループしています。永遠を表すかのように。

 

 


一方はヨーロッパ初の飛行記録を打ち出した男アルベルト・サントス・デュモン。

もう一方はその男の為に世界で初めて腕時計を設計した男ルイ・カルティエ。

 

カルティエが制作する腕時計サントスは、サントス・デュモンとの歴史です。

 

 

参考 

GQ

アルベルト・サントス・デュモン

メゾンカルティエ サントスの歴史

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