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レガシーか、イノベートか

長い年月芸術を学ぶといずれ進むべき価値観の分岐が訪れます。

その決断とは大きな意味で伝統的な世界で生きるのか、革新の世界へ進むのか価値観を選択する時です。


この選択に迫られるには様々な要因があり訪れない人もいると思います。

僭越ながらその時が訪れた際にどのように考えるのかというひとつの参考になればと思いブログにいたしました。


本格的に絵を学びたいと思った方は美大や専門機関を目指すか、あるいは独学で参考書から学びます。ほとんどの方は専門機関に進むと思います。

なぜなら独学は誰かに学ぶよりもはるかに難しいです。まず独自で学んでいくには個人で修練を継続させる忍耐力の高さが必要になります。簡単なようで継続的なセルフコントロールはどんな人にとっても最も難しい課題です。そして独学は客観性と論理性、そこに継続的な実行ができる忍耐力も必要です。

自分がどこに居て、どれぐらいの力があり、何が問題でどのように対処すれば解決できるのかという冷静な判断力が不可欠です。とりあえず闇雲に何かをしようする衝動を抑え、今の自分に必要な物事は何かと冷静に判断し問題を論理的に解決しなくてはなりません。客観的に理解していたと思っていても浅薄で主観頼りに進めてしまう場合も多くあります。冷静なだけでは論理的とは言わず知識が伴って初めて論理的な判断が可能です。

こういった諸問題を理解し、まずは専門機関を目指そうと考える事が一般的です。たった一人で自分を変化させる事はとても困難です。

そして、専門機関を目指す事によって必須になる力がデッサン力(描写力)です。


レガシーかイノベートか、その選択を考えるようになる要因の一つに絵画に限らず芸術全般的に技術を備えようとする修練のプロセスが起因しています。


専門機関を目指す場合はデッサン力が必要になります。絵画科、彫刻科、工芸科、デザイン科は素描(デッサン)が必修です。

このデッサン力は美術の基礎として存在しデッサン力の低い人は専門機関への入学ができません。

そして科によっての選考別課題でイマジネーションや構成力など科に必要な力を判断されます。


このデッサンという基礎修練が価値観の固定化を促します。


想像してみてください。

友人があなたに「この絵上手いね」と言った絵とはどのような絵だと想像しますか?


何が描かれているのか比較的理解しやすい写実的な具象絵画をイメージしませんでしたか?


何故なら上手いという言葉の意味にはしっかりとした技術によって表現されたものを指しているはずです。

美術の基礎は素描(デッサン)で培った描写力です。そしてこの力は努力すればほとんど誰もが手に入れられる技術です。

同じように重要なイマジネーションは養う事がとても難しいです。想像力が豊かな方もおられます。ですがどんなにイマジネーションが豊かであっても基礎の描写力が乏しければ稚拙な表現になってしまいます。

それは誰にでも理解できる事だと思います。


芸術とは何でしょうか。


ルネサンス期やそれ以前の時代に描かれた描写力の高い写実的な絵画作品でないと芸術だと認められないでしょうか。

そうではないですよね。写実的でなくとも豊かな表現によって生まれた良い作品が沢山あります。中には10歳にも満たない子供の絵画でも魅力を感じる作品があると思います。子供には修練された描写力はありませんが画面の中にどのように収め表現するのかを感覚的に描く事で生き生きとした表現があります。つたない線だからこそ線が生きています。

感覚的、この論理性とは正反対の意識によって魅力ある作品が子供にも生み出せます。むしろ子供にしか生み出せないものもあると思います。そう考えると芸術作品としての魅力は様々な価値観がある事を理解できると思います。


美術は感情的で楽しいものです。


絵を描き始めた最初は見たものを描きたいという欲求から始まり、繰り返し表現する中で空想したものを描いたり、そして描いたものを誰かに見せたいという欲求が生まれます。そしてもっと上手に表現したい、もっと誰かを感動したいという、とてもポジティブなサイクルが生まれます。

描き初めはとてもポジティブで楽しかったはずです。

ですが幼少期から大人になるまで、少しづつ身体が大人に成長するように幼い時の感覚的な表現から描写力を備えた技術的な美意識へと価値観が変化していきます。「上手下手」というある特定の力だけを指標にしたこの言葉によって価値観が統一され一つの方向へ向っていきます。それは「上手下手」を指標にすると誰でも理解しやすいという事と、感覚的な表現は指標のない世界なので判断も理解も難しいからです。

ですが芸術の多くは一見して理解しがたい感覚的な世界に価値を置いています。この感覚的な理解力とは様々な知識と経験の積み重ね、そしてあなたの個性によって育まれます。

やがて望んでいた描写力を手に入れれば描写力のその先に表現したかったものがあるのかを判断しなければならない時が訪れます。技術の上に存在するのか、哲学の上に存在するのか。


芸術の価値観は多方向に進みます。


繰り返しますがいくらイマジネーション豊かであっても描写力が乏しい場合、稚拙な表現になってしまいます。ですが描写力を上達させたからといってそれだけで魅力的な作品を創造できるわけでもありません。様々な要因があって作品の魅力が生まれます。


美術の歴史は沢山の主義や運動が生まれ変容し続けた歴史です。

変化の要因はその時代によって様々です。宗教であったり、技術革新による道具の変化から起こったもの、また戦争や経済も美術に影響を与えます。芸術は常に変化しています。

そんな美術史の中で革命的な変化を起こした出来事は価値観を変化させた事です。


例えばジャクソンポロックのワン:ナンバー31(fig1参)を見て絵が上手いなとは感じにくいと思います。


fig1 Jackson Pollock /  One: Number 31  


ですがポロックの名前や作品名は知らなくとも、美術が好きな方ですとこのドリッピング技法の作品をどこかで見た事があるかもしれません。

ポロックを掻い摘んで説明するとピカソやミロの影響を受けユングやシュルレアリストの無意識を根底にドリッピングと方向性の概念を無くしたオールオーヴァーな作品を創造した無意識のアーティストです。


特に現代美術は一見しただけではその作品の真意は伝わりにくいです。

「なんだこの筆から絵の具を垂らしたような絵は」と思ってしまうかもしれませんが見えているものが全てではありません。何故この作品が美術史に残る名作なのか、目に見える作品だけではない奥にあるテーマや文脈を知らなくてはなりません。

作品が展示されている場合は近くにキャプションがあり説明が記されている場合もありますし、何もなければ作家名と作品名からネットで調べられます。興味を魅かれた作品に出会ったら是非調べて作品の奥、作家のメッセージを知ってください。もっとその作品に魅力を感じ楽しくなります。


ポロックは意識的に絵を描く事を辞め、無意識に描き画面をオールオーヴァーにした事で今までにない新しい美術の価値観を提示しました。


「意識して描く、意識して描かない。」このポロックのメッセージを考えないといけません。

「いやいや美術って視覚芸術でしょ、目にどのように映るのかを意識しなければ何が良くて何が悪いのか判断ができないじゃないか。」そう作品に入り込み考え答えを探そうとする状況をポロックが私たちに与えたのです。

ポロックは意識せず自然と内から溢れるような導かれるような画法を追求しました。この作品を表面的に真似しようとすれば比較的簡単に誰でも描けると思います。ですがポロックが提示した価値観はポロックにしか出来なかった事です。そこに芸術的価値があります。


また例えばジャスパージョーンズのFlag(fig2参)を見て絵は下手ではないと思いますがただ単なるアメリカ国旗だよねと判断すると思います。実際鑑賞者をそう感じさせる事に意図があります。


fig2 Jasper Johns /  Flag.


ジョーンズの作品はエンカウスティークという蜜蝋に色つけ塗り重ねた独特な画法です。


ジョーンズの作品を見て何を感じるでしょうか。

一見してアメリカ国旗で独特の風合いのある色味だなと感じると思います。しかし次に考えるのがなぜこれを描いたのだろうかという疑問ではないでしょうか。


ジョーンズとは、今までのアーティストのように内から溢れ出る感情を作品に表現したのではなく、特別なモチーフを扱うのではなく、身近にあるありふれたものに意識を向けさせ美術価値とは何なのかを提起したアーティストです。

モチーフが美しい風景や女性や特別なものではなく、ましてやサインや数字を使い表現する事で芸術の方向性を多様化させました。「特別=価値がある」という価値観の世界から「単なるsign=価値があるかもしれない」という価値観を創造しました。


ポロックもジョーンズも技術の先にある描写力とは違ったベクトルで作品制作に取り組みました。その前のピカソやセザンヌもそうです。

なぜでしょうか。

決して上手く描く描写力がなかったからこのような表現を選んだという事ではありません。画家を目指す人は皆気が遠くなる程の基礎修練を積んでいます。

セザンヌから続く描写変容の歴史を読み取り、表現とは何なのかを思考し実験し続けた結果ポロックもジョーンズも自分の回答を見つける事ができたのだと思います。描写力以外の哲学的な思考や美術の文脈を理解し表現を模索したのです。


美術を深く学べば学ぶほどに焼きましの表現や既存の価値観に支配されていた事をアーティストは学んでいきます。

あんなに苦労したデッサン修練も表現力を補う為の一つのパートだったのだと知っていくのです。


ではその他にアーティストに必須の力とは何なのでしょうか。何となく考えてみても以下の力は必須ではないのかと思います。

それは感性、想像力、描写力、認知力ではないでしょうか。

この中で自分の力を客観的に理解し安いのはやはり描写力です。見たままに判断できますので。

感性はどうでしょうか。

感性とは感受性、直感的感覚的な物や出来事などへの認識力です。感性が低いという意味は感情を揺さぶる衝動が無い無関心な人だという事です。様々な物や出来事に反応し何かを感じとる事ができる人を感性が高いまたは感受性が豊かな人という表現をします。

無関心であれば表現したいという欲求にまで繋がらないと思います。まずインプットされていないのですから。

表現とは欲求です。伝えたいものを心の中に宿したり溢れ出る何かを宿さなくてはなりません。それは優れた描写力の上に成り立つ表現かもしれませんし価値観を変化させる事かもしれません。しかし無関心であれば何も心に宿す事は出来ません。

認知力が何かというと、様々な意味で様々な事を理解できているかという力です。

自分のウィークポイントやストロングポイントであったり、客観的な自分の実力判断であったり、日本のアートの動向、世界の動向、様々な情報を総合的に理解し自分の本当の位置を知る力です。

最後の認知力だけ色々含めたものになりましたが所謂メタ認知力です。


美術の文脈を読んでいくとその時代のアートに魅力を感じる人もいます。様々なアートのジャンルを勉強した中でも歴史的な美意識に魅力を感じる方もいます。


アートは破壊と構築を繰り返す歴史です。

それが本当の美しさなのか。それだけが感情を揺さぶるものなのか。そういった疑問と破壊と創造の歴史が美術史です。しかしそんな中でもギリシア時代の古典的な美しさを再認識し讃えたギリシア時代の再来ルネサンス運動もあります。

どの時代もその時その人が感じる物事が正解で誰か他人に左右されるものではないと思います。


あなたにその時が訪れた時、自分自身に向き合い声を聞いてください。

「本当に沢山学んだのか、様々な表現を試みたのか」と。

様々なことを学び挑戦し修練し表現を続けた結果導かれたものが答えだと思います。


それは前進をし続けたあなたにしかわからない答えです。

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