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宗教観



美術は宗教と共に進化しました。

絵画、彫刻、工芸、建築、そして文化は宗教と共にありました。



ですが、私達はイデオロギーの話題の中でも特に宗教に関して口を閉じます。



イデオロギーに関するディスカッションは白熱しやすいです。

何故ならば、それはその方が信じる根底的な価値観の主張だからです。

人は自分の主張に共感する人に好意を持ち、反対意見には対峙します。


反対意見というと、好意的なネガティブという、ポジティブな方向性を見出す為のネガティブ意見もありますが、これはとても高度な自己抑制と経験を必要とします。

自分という主観を捨て、客観視点のみで意見しなくてはならず、豊富な知識があってその上で実践した経験が必要です。

ですので好意的なネガティブはとても難しいと思っています。だからと言って未経験な物事を想像し推察出来ないわけではなく、様々な経験を照らし合わせ代替して物事を推し量る事も大人には可能です。ですが、この推測にも多くの知識と経験があって成り立ちます。

理想論は机上の空論です。実践経験がないアドバイスになんの意味もないと思います。


少し脱線しました。


イデオロギーに関する会話はしないほうが良いというのが日本人の大半の感覚だと思います。

政治的左翼、右翼思想、国家主義の資本主義、共産主義の話、無宗教派、一定の信仰をもつ人との話です。


ですが美術を行なっている人間が宗教に触れないでいることは不可能です。

西洋美術では神話やキリスト美術を学び、そこで生まれた技法や表現と時代的美術変化を学びます。

日本美術でも、数多の神話、大仏や仏像、世俗文化があってそこに美術が存在しました。

そもそも土着文化があって、その上に美術が存在してきました。


しかし宗教に関しては皆さん口を閉ざします。

それは宗教がその人の核となる価値を形成し、生きる指針を担う大きなファクターだからです。

国家主義や、左翼・右翼思想とは比べ物にならないくらい、その方にとって大切な価値観です。


何度か聴いたことがあるのですが、宗教に傾倒する人は弱いからだと聞いた事があります。

こう言われた方は、どれだけ傾倒しているのかという量的な意味を指しているのだと思います。

ですが日本人はいろんな宗教に熱心な国民性です。

大晦日や正月には神社仏閣に初詣に出向き感謝を伝え、お盆にはご先祖様の供養を行い、五節句や祭りなど様々な神仏への催事がございます。クリスマスにはキリストの誕生も祝います(ほとんどプレゼントをする為のイベントですが)、ハローウィンやイースターエッグも行います。

八百万の神を祀る日本です。どんな神がいても受け入れる事が出来るのは日本人だからこそ出来る事だと思います。そしてどんなものにも神は宿るとし、物だけではななく行いにも神は宿るとし、道徳、倫理を大切にしてきた民族です。


こうして生活を掘り下げると、日本人は宗教に傾倒した民族である事が理解できます。

なんの疑いもなく催事を行うほど、浸透していますので。


宗教思想はとても素晴らしい考えをベースにしていますので、どの宗教の教えも勉強になります。

自分に足りない部分が露わになって律すべき事を教えてくれます。


どの宗教が最も優れているのかという、優劣で宗教を判断するのではなく、どの宗教にも素晴らしい教えがあって学ぶべき物事が沢山あるのだと全てを向かい入れれば、平和的に思想勉強を行え必要な価値観を養えます。


極端に言えば、どんな人も宗教でなくとも何かに傾倒して生きています。

ある人は愛に傾倒し、ある人は力に傾倒し、ある人は権威に傾倒し、ある人はお金に傾倒し、またある人はお酒に傾倒し、ある人は自分を蔑む事に傾倒し、何かにすがり、糧にして生きています。


宗教が特異に見えるのではなく、本当は自分と違うものを、理解できないものを排除している自分自身が、超越した大きな価値観から見て特異なのかもしれません。こだわりがあるという事は、受け入れられない価値も存在するという事の現れです。

未知なものは恐怖ですが、学ばなければいつまでも未知です。


学びはいつも価値観を広げ、視野をを広げます。

何でも受け入れ学んでみませんか。

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