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懐疑的な先にある価値の再確認



同じモチーフを反復させる表現を一番最初に顕著にしたのは草間彌生さんで、それに影響を受けたアンディ・ウォーホールが有名なキャンベルスープやマリリンモンローを制作しました。

草間さんとウォーホールが利用した反復は違う意図で行っています。


有名なウォーホール自身の言葉で「アンディ・ウォーホールについて知りたければ表面だけをみればいい。僕はうわべだけの人間だ」という言葉があります。

ウォーホールは草間さんの反復表現を表面的に模倣し、これまで抱いたアートは選ばれた人にだけある特別なものではなく、誰にも開かれた世界であるべきだとし、今までの崇高なアート界へのアンチテーゼとして存在しました。

簡単に言えばアートを娯楽化大衆化させた先駆者です。


ウォーホールの32個のキャンベルスープは、大量消費時代に対する強いメッセージを込めているとする評論家もいますが、ウォーホールがそういった意図の発言をした記録は無く、目に入るポップを追求しわかりやすいアイコンとしてキャンベルスープを選んでいるだけです。


前置きはさて置き、参加者であるNorimasaがこの「meta ships」で反復表現を使い伝えたかったことは、価値の再定義です。


モチーフは毛をむしられ、足と頭を落とされた鶏です。

そこにつけられたSALEの文字が出荷された商品であり、生きた物ではない事を直感させます。

ほとんどの方にとって鶏は食料であり、ペットや愛出る存在ではありません。

家畜という言葉自体がそうですが、生命としての視点よりも食料としてのイメージが優先し命としての視点は希薄です。

この作品は一定の生命を家畜として命をコントロールしている事実を再確認させます。


私たちは家畜をコントロールすることに善悪はないと何処かで見ないふりをしています。

栄養を摂取する為、畜産農家を守る為、美味しい食事をする為、様々な事を考え行動の正当化をはかります。

そういった普遍的な価値感に対し、Norimasaは懐疑的な目を持って接して欲しいというメッセージをこの作品に込めています。

それは食肉に対する命の選別と、食料として完全にコントロールされ、生態が崩壊した種に対しての意識を持って欲しいというメッセージなのだと思います。


そしてもう一つの提言が、作品にはTシャツも存在し同じ作品が描かれ安価な値段で販売されていることです。

支持体を衣類にしただけで価格が下がります。

支持体によって値段が左右される事がもはや芸術の価値の測り方を難解にしています。

芸術の価値とは何なのかというメッセージをこのTシャツに込めています。


そういった確認と再定義をNorimasaは今後も行なっていくのではと思います。

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